2017年03月17日

張りぼての母。

「ジャニーズ初の名人」の誕生に、キスマイさん界隈は(それこそ、自分のご贔屓も後に続いてほしいといった感想も含めて)大盛り上がりかと思いきや、なにやら別件で大忙しのようですね。

「匂わせ彼女」? って初めて聞いた言葉ですけれど、
どうやら自己顕示欲と承認欲求の塊の人の自慰行為っぽい。

ただそれはひとつのきっかけにすぎなくて、
歌えない踊れない喋れない(要はアイドルらしいことが何一つできない)横尾さんが、その代わりに長いこと売りにしてきた「人間性」だの「正直さや誠実さ」だの「母というキャラクター」だのが、実はただのリップサービス、張りぼてにすぎなかったってことがバレてしまったことが、キスマイさん界隈に大きなインパクトを残した模様。


何か、不倫騒動で驚くほど大騒ぎになったベッキー嬢みたい。
お金をいただけるようなプロフェッショナルらしい芸事のひとつもないままに、「好感度」という情報操作の賜物を武器にキャリアを積んできた人の、公共の電波を通じて喧伝されてきたその「好感度」というものが、「実は張りぼてにすぎなかった」「まさに情報操作の賜物だった」。
それをある日突然知らされた視聴者が戸惑って、やがてそれが怒りに代わっていったような、そんな感じ。


茶碗の持ち方がおかしい横尾さんが、礼儀作法に厳しいという設定自体、ハードルが高すぎるというか、既に理論として破綻してるよなあとは思っていましたが、「プレバト!!」でも盛んに喧伝している「真面目な勉強家」というスタンスは、じゃあどうなんでしょうね。
これもやっぱり張りぼてで、作家さんが書いた台本やカンペを頼りに、好青年役をこなしてるのかな。
1つ疑わしい事案が発生すると、「じゃあこっちはどうなの?」「こっちは?」とどんどん他のことも疑わしくなってくるのがせつないところ。

ただなっちゃんは、そういうヤラセには関与しないんじゃないかと信じたいから、
番組の歯車のひとつである横尾さんについても、「自分で考えてきている」っていう設定のままにしておいてほしいかなあ。

――うん、Yuki的には、「横尾さん本人が本当に努力して番組に望んでいる」という体で番組を見たり、感想を書いたりしていくことにします。
なっちゃんは俳句に対して誠実なはずだって信じたいから。


タグ:横尾渉
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2016年05月20日

余震千五百回。

いつまで揺れ続けたら気が済むんでしょうね。
二千回、行くかな。

揺れも勿論そうだけれど、
その前兆っぽい地鳴りというか、家鳴りというか、
そういうものに身が縮む思いまします。
このまま揺れ続けるのか、大きくなるのか、さっと消えてくれるのか、
息を殺して構えている自分がいます。


熊本地震:余震1500回に達す「2カ月後が危ない」過去にも…地震調査研(Hazard lab/2016年05月19日 13時00分)

 先月14日以降、熊本県や大分県で発生した地震の回数は、きょう19日午前11時現在で1500回に達した。

 気象庁のまとめによると、一連の熊本地震が発生してから4月末までに観測した震度1以上の発生回数は1093回。5月に入った当初は1日あたり30回前後を数える日もあったが、10日過ぎから15回前後に減少。震度4を超える地震は13日以降、観測されていない。

 きょうは午前11時までに震度1〜2の揺れが計4回発生しており、これまでに観測した回数は、速報値で1500回に達した。

 政府の地震調査研究推進本部は13日、一連の地震活動について、「大分県中部の活動は減衰しているが、熊本県熊本地方と阿蘇地方の活動は依然として活発だ」と分析。

 そのうえで、「九州地方ではマグニチュード(M)6クラスの地震発生後、2〜3カ月後に震源に近い地域で同程度の地震が発生したことがあるため、今後も最低2カ月程度は、M5〜6、震度6弱以上の余震に見舞われるおそれも否定できない」と述べている。

 今回の震源に近い熊本県阿蘇地方では、1975年1月にM6.1の「阿蘇地震」、その3カ月後にM6.4の「大分県中部地震」が発生したほかにも、鹿児島県薩摩地方では1997年3月と5月にM6.6とM6.4が相次いだ。

 また、2004年の新潟県中越地震(M6.8)や2011年の東日本大震災(M7.0)でも、本震から1〜2カ月後にM5程度の余震が観測されたことから、熊本県から大分県では引き続き、十分な警戒が求められる。
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2015年12月13日

「レース物」というジャンル。

M-1グランプリ2015を見る羽目に陥ってしまった。

一つ一つの漫才は、
その瞬間その瞬間はそこまで酷くはなかったけれど、
一本の作品、起承転結という意味では練りが甘い作品が多くて、
「これいつ終わるのかな」
「これどう終わらせるつもりなのかな」
と思いながら見た。
ちょっと面白そうなことを、ただ、だべり合っているような印象。
「漫才のレース物」における漫才って、マジックにおけるトリックみたいなもので、一番しっかりしていなきゃいけない部分のはずなのに。
「『トリックがぐだぐだでお粗末なマジック』なんて、それマジックとして成立しているの?」って話でしょう?
脚本家は推敲とかしなかったんだろうか。
っていうか事務所も良くこの台本でOK出したなあというのが正直なところ。

「順位がつくレース物」っていうジャンルである以上は、
最低限「順位がついてもおかしくないな」っていう雰囲気を醸し出すだけの完成度は欲しかったなあ。
「謎解き部分がしっかりしていない探偵物」とか、最悪すぎて話にならないでしょう?
ましてや緊張感を煽っておいて肝心要の漫才部分がぐだぐだとか、本当に何なの。
選手任せのスポーツとは違うんだから、脚本にはしっかりと力を入れて欲しい。
露骨な接待漫才はやめてほしい。
そうじゃなきゃ、脇を固める敗者役の人達も、審査員役の人達もかわいそうだと思う。

「五年ぶりに復活」というコンセプトに引っ掛けて、
優勝者役の人もまた「敗者『復活』からの優勝」と設定するのは別に作り手の自由だと思うけれど、
だとしたら作品の順番だけで場を盛り上げて説得力を演出するとか、そういう手抜きで何とかしようとするんじゃなくて、
優勝に見合うだけのちゃんとした作品をさせてあげて欲しかった。

二本やって二本とも漫才の違いに大差がない、
漫才の幅を感じないという、
ドラマのキモになるはずの漫才部分が手抜きすぎて、かわいそうだった。

何年か前に見たコントのレース物よりはまだマシだったけれど。
あの時は「何? この人達こんなコントで優勝させられちゃうの??」
って、見ていて本当に痛々しくて、かわいそうだったからね。


時々、レース物の優勝者役の人が思ったよりブレイクしていないというような記事を見かけるけれど、
たった一本の単発ドラマの主役を張ったくらいでブレイクとか、
ちょっと夢見すぎだと思う。

少なくとも今回みたいな、キモの部分で手抜きをし続ける限り、
「レース物の優勝者役がそのままブレイク」とか絶対に夢のまた夢だと思う。
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2015年11月19日

福永令三とシューベルト。

福永令三とシューベルト。
忌日が同じ二人です。

クレヨン王国の生みの親、福永令三(83)が亡くなって満3年。
歌曲の王、フランツ・シューベルト(31)が亡くなって満187年。

片や52歳でようやく代表作『クレヨン王国シリーズ』に火がついた福永令三。
片や18歳にして歌曲「野ばら」や「魔王」を、20歳で「鱒」を発表したフランツ・シューベルト。

随分と対照的な印象です。
posted by Yuki at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年08月27日

リーダー不在のグループに於ける母。

キスマイさんには「リーダー」というものがいないらしい。
普通に考えれば最年長である長男坊、北山氏がそのポジションにいておかしくないんだろうけれども、そうではないらしい。

恐らく北山氏の負担が大きすぎると判断されたんでしょうね(妄想)。
「リーダーとしてグループ内をまとめつつ、エースとして個人の仕事でグループを売り込む」というのは、「国民的アイドルグループ」の例で言うならば、中居&木村というツートップの役割を、北山氏一人で担うようなものですからね。

しかもエース格の人がリーダーまで務めてしまうと、メンバーに逃げ道がなくなって、注意した時の反発が大きくなりすぎるという欠点がありますからね。
注意する側にそんなつもりはなくても、される側が劣等感を拗らせたり、「自分を基準にして相手に求めすぎる」といった反発心を抱いたりね。
勿論、できない人がリーダーを務めることになると、今度は逃げ道がありすぎて、「自分だってできてないじゃないか」という反撃に曝されることになる訳ですが。

だからといって反撃されない範囲でだけ物事を考えているようでは、グループとして成長していこうなんて夢のまた夢。
例えばメンバーの誰かが失敗した時に「良いよ良いよ自分ならできないもん」と傷を舐め合うような発言ばかり、許すような発言ばかりしているグループに将来性を感じます? だって。
「口ばっかり」の謗りを受けようとも、「言わなきゃならないこと」は誰かが言わなきゃならない。

だからこそ。
わたみつでよくよく打ち合わせをして、リーダー云々ではなく、役割分担したんじゃないかなって、ふと思った訳です。
「仕事面で引っ張る北山氏」と「生活面を支える横尾さん」とか、
「切り込み隊長&点取り屋の北山氏」と「ゴールキーパーの横尾さん」とか。
要は「アメ(=北山氏)」と「ムチ(=横尾さん)」って感じで。

そうじゃなきゃ「横尾さんだけが注意している」「横尾さんだけが口うるさい」と評されるような状況にはならなかったんじゃないかな、という気がします。
なんたって、北山氏は「まっすぐで熱い」とよく評されているようですから。
そういう人が言いたいことを飲み込んでいるのは、その辺りを横尾さんに任せているからじゃないかなって。

「昔はわたみつで良く遊んだけれど、途中から遊ばなくなった」と言っているのも、「プライベートでも仲がいい」となると、「横尾さんが怒って、それを北山氏がなだめつつメンバーをコントロール」みたいなことをしようとした時のマッチポンプ感というか、示し合わせてます感が高くなりすぎるから、公言しなくなったんじゃないかな、とか思ってみたり。


そんな中での「グループ内の母」という位置取りは、北山氏から横尾さんへのせめてもの援護射撃、せめてもの防護壁だったのかな、という気がします(空想)。
というのも、「横尾さん=母」は北山氏が言い出したことのようなのですが、それってつまり、注意する側の能力に関係なく「必要なことだから注意する」という図式を際立たせようという、そういう意図があったのかな、と(妄想)。

一般的な「母親(もしくは親)」というものは、自分ができるできないにかかわらず、子ども達にとって必要なことは「躾として言わなきゃならない存在」な訳です。
「お母さんもできない(もしくはできなかった)んだから、あんた達もできなくて良いのよ」なんてことは口が裂けても絶対に言わない。

つまり、
「横尾さんは自分ができるできないに関係なく、最終的にはできるようにならなきゃいけないことを、メンバーに対して言うキャラであろうとしてくれているんだよ」
「そういう役割を横尾さんは担おうとしてくれているんだよ」
という、北山氏からのメッセージ(妄言)。


だからこそ、リーダーはいないのに母がいる、という現状に落ち着いたのではないかな、と思ってみたり。
posted by Yuki at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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